富田木歩終焉の地 (1 画像)
富田木歩(もっぽ)は本名を一といい、1897(明治30)年に墨田区向島2丁目の鰻屋の次男に生まれた。2歳のとき両脚の自由を失い、小学校に入学できず、彼はいろはカルタ等で遊びながら文字を覚えた。
たびたびの洪水で家は貧乏のどん底に陥り、2人の姉は苦界に身を沈め、妹は女工に弟も内職の手伝い、彼も徒弟奉公に出た。しかし仲間に辛く当られ仕方なくやめた。こうした苦しみと孤独の中で、彼は俳誌『ホトトギス』を知り、俳句に惹かれる。
やがて、彼は臼田亜浪に師事して句作に精進し、その俳句は高く評価されるようになる。彼を理解し援助する新井声風という俳友もでき、彼に俳句を学ぶものもできた。しかし、妹も弟も肺患で死に彼自身も肺を病むといった苦境での句として、
かそけくも 咽喉(うど)鳴る妹(いも)よ 鳳仙花(ほうせんか)
がある。
木歩は関東大震災にあり、声風に背負われて墨堤に避難したが、枕橋が焼けて逃げられず、このあたりで焼死した。26歳であった。

・東京都墨田区向島1-3
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system