本能寺跡 (8 画像)
1415(応永22)年、日隆聖人が油小路高辻の地に本応寺を創立したが、後に破壊されたので、1433(永享5)年に六角大宮に寺地を写して本能寺と改称された。
天文法華の乱で焼失したが、1547~1548(天文16~17)年頃、第7世日承によって、西洞院と小川との間の四条坊門(今の蛸薬師)の北の地に再興された。当時は広大な寺域を占め、織田信長の仮宿所となったが、1582(天正10)年6月2日に信長を攻めた明智光秀の兵火にあい、一山の堂塔を失った。
後に信孝が父信長の廟を建てたため本能寺は再びこの地に復興を見ることになったが、豊臣秀吉の区画整理により、天正年間に東京極(今の寺町)の三条坊門(今の御池)南の地に移された。

●本能寺

・京都府京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system