佐久間象山・大村益次郎遭難の地 (8 画像)
1864(元治元)年7月11日、木屋町通を馬に乗って通りかかった佐久間象山(1811~1864)は、刺客に襲われて斬られ絶命した。
象山は信濃(長野県)松代藩士で、儒学や朱子学を修め、さらに洋学・砲術を学び、開国論を唱え、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰ら多くの俊才を教育した。
この時は幕府の命で上洛し、海防の相談に与るとともに公武合体策をすすめていた。時は寺田屋事件の直後でいきりたっていた攘夷派は、学者象山の説をも受け付けなかった。
それから5年後の1869(明治2)年9月4日、木屋町通の東側にあった宿所で大村益次郎(1825~1869)が刺客に襲われて斬られ、その傷がもとで、同年11月5日大阪の病院で敗血症で没した。
益次郎は周防国(山口県)長州藩士、家は医者であったが、医学を梅田幽斎に学び、さらに緒方洪庵の適塾でも西洋兵学を学び、兵学の第一人者となって幕末の長州軍を率い、また戊辰戦争の指揮に活躍した。ついで、明治政府の兵部大輔となり、近代兵制(国民皆兵など)の創立に努力した。しかし、廃刀論で士族の反対を買い、不平派士族に襲われた。

・京都府京都市中京区一之船入町

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