氷川丸 (97 画像)
氷川丸は、日本郵船のシアトル航路の新鋭船として1930(昭和5)年4月三菱重工業横浜商船所で建造された。当時の最新鋭大型ディーゼル機関を搭載し、水密区画配置など先進の安全性を誇っていた。一等公室にはフランス人デザイナーによるアールデコ様式の内装が施され、太平洋戦争前には、秩父宮ご夫妻、チャーリー・チャップリンをはじめ、約1万人が乗船した。
その後、戦雲ただならぬ中、政府徴用船、および海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷したが、日本郵船の大型船では唯一沈没を免れたのある。
戦後も引き続き病院船のまま復員輸送に従事し、昭和22年に復元工事で貨客船に戻り、国内航路定期船、後に外航不定期船、昭和26年8月からはシアトル・ニューヨークおよび欧州航路定期船に就航した。昭和28年には内装をアメリカンスタイルに改装し、シアトル航路に復帰、フルブライト留学制度での渡航者約2,500人を含む乗客、約1万6,000人を輸送し、活躍した。
昭和35年、船齢30年に達し、同10月シアトル、バンクーバーから神戸に帰港、係留地横浜への回航を最後に第一線を退きました。 太平洋横断254回、船客数は2万5千余名。
引退後は、1961年5月、横浜開港100年記念事業の一つしてこの地に係留されて以来、マリンタワーと共に、山下公園のそして横浜港のシンボルとして市民に親しまれている。平成15年11月には横浜市指定有形文化財にも指定された。竣工78年目にあたる平成20年4月25日、「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンした。

●山下公園

・神奈川県横浜市中区山下町
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system