対潮閣(山下亀三郎別邸)跡(秋山真之終焉の地) (11 画像)
明治時代から、小田原には、伊藤博文山縣有朋、益田孝(鈍翁)、田中光顕北原白秋など多くの政財界人や文人が居を構えたり、訪れたりしていた。
山下汽船(現・商船三井)の創業者山下亀三郎(1867~1944)の別邸「対潮閣」の正面入口がこの辺りにあった。
対潮閣には、山下と愛媛の同郷であった海軍中将秋山真之(1868~1918)がたびたび訪れ、山縣の別邸「古稀庵」(現・あいおいニッセイ同和損保小田原研修所)を訪ね「国防論」について相談していたが、患っていた盲腸炎が悪化し、大正7(1918)年2月4日未明に対潮閣内で亡くなった(享年49歳)。
正面の巨石は、対潮閣にあったもので、梵鐘を抜いた形の空洞があるので「釣鐘石」といわれている。
左手前の石碑には、田中光顕がこの石を賞して詠んだ和歌が彫られている。
碑文「うちたたく 人ありてこ曾(そ) よの中に な里(り)もわたらね つりが年(ね)の石 光顕」

・神奈川県小田原市南町1-5-32

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