神戸山手西洋人住居 (8 画像)
それぞれ木造総二階建の主屋と付属屋からなる住宅であるが、建物の沿革は余り明確にはなっていない。明治20年代(1887~1896)に建てられたものと推定され、当初は外国人のものであったと思われるが、1896(明治29)年には日本人増田周助の所有であったとの記録がある。
先の長崎居留地二十五番館と同じ頃の外人住居であるが、雰囲気にはかなり違ったものがある。平家建でゆったりとした長崎二十五番館が明治初期の植民地住宅的な雰囲気を遺すのに対し、この神戸の建物はより本格的な西洋館になっている。これは、当時神戸が横浜と並んで貿易港として発展をみせており、建物にも洗練されたものが求められたためと考えられる。
この住宅では、敷地が狭いという悪条件の中で建物をより良く見せるため、工夫がこらされている。ベランダの柱を整然とは建てず、場所によって二本、三本と並べ、その間隔もまちまちにすることにより、建物に変化を持たせ実際以上に大きく見せている。又、ベランダから室内へ数多くの出入り口を設けているのは、余り広くない室内をベランダと一体で使うための配慮であろう。
主屋は上下階とも同じ間取りになっている。玄関、階段、中廊下を一まとめにし、左右に一部屋づつを配して、ベランダをL字に添わせている。付属屋一階には使用人が居たが、他のどの部屋とも結ばれておらず、主人家族のプライバシーの枠外とされていた。

・愛知県犬山市内山1 博物館明治村3-32
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