光永寺 (13 画像)
400年余り昔、長崎開港の当時、長崎の地は一時キリシタン領となって神社、仏閣は焼かれ仏教徒は領外へ追放された。これを歎いて当山の開祖慶西(けいさい・唐津久兵衛)は肥前の国唐津より来て浦上に庵室を設け仏教復興のために身を挺して奮闘した。その功により現在の地を幕府から寺地として与えられ、1614(慶長19)年光永寺を創立した。山門は県下における朱印地様式の唯一の遺構で、もと桶屋町通りに面していたが、1804(文化元)年現在の東向きの一に移され「向陽山」と山号を定め同3年筋塀と共に完成した。
1854(安政元)年、当時19歳の福沢諭吉は当寺を頼って長崎に来て、約1年ここに留まって蘭学学習の第一歩を踏み出した。1879(明治12)年長崎県議会は第1回以来数年の間、当寺を議場として開かれ当県の地方議会がこの地において発足することとなった。
江戸期の本堂は原爆にて大破、解体されたが現在の本堂は当山開創375念を記念して昭和60年秋に再建工事に着手、平成元年5月に竣工し落慶法要を行ったものである。山門及び鐘楼は200年ぶりに解体修復を終え、戦時供出の梵鐘も平成6年、原爆50回忌を期して改鋳した。

・長崎県長崎市桶屋町33
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