野村家武家屋敷跡 (84 画像)
1583(天正11)年藩祖前田利家が金沢城に入城した際、直臣として従った野村伝兵衛信貞家は禄高千石から千二百石へと累進し10代にわたって、代々御馬廻組組、頭各奉行職を歴任し、この地に千有坪(3000㎡余)の屋敷を拝領し、家督は11代にわたって、明治4年の廃藩に到った由緒深い家柄である。
武家制度の解体で、あたりの多くは菜園となったが、幸い門、土塀などは従来のまま残していたものの、大正初期の窮乏でさらに土地は分割されて、現在の住宅街と変貌したのである。
野村家も古木、曲水の庭園の一部を残し、館を取り払い分割されていくたびか住人を変えたが、昭和初期に至り、藩政時代、「北前船」船主で遠く蝦夷地(北海道)、遠くはロシアに通商し藩政を支えた加賀の支藩大聖寺藩下橋立村の傑商久保彦兵衛が、藩主を招くために造った豪邸の一部の上段、謁見の間を移築して現在に至っている。

・石川県金沢市長町1-3-32
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