高橋是清翁記念公園 (39 画像)
経済通の政治家として、明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分である。是清は、赤坂の丹波篠山藩青山家の中屋敷跡地約6600平方メートルを購入し、1902(明治35)年に屋敷を建て、1936(昭和11)年にこの建物2階で暗殺される(2・26事件)までの30年あまりをこの家で過ごした。総栂(そうつが)普請の主屋は、複雑な屋根構成をもっており、また当時としては高価な硝子障子を、縁周りに多量に使用している。赤坂にあったころは、主屋のほか3階建ての土蔵や、離れ座敷がある大きな屋敷だった。日銀総裁、7度の大蔵大臣、総理大臣などを務め、多忙な日々の中で、是清はこの家に帰り、家族との団欒や夕食をなによりの楽しみにしたと言われている。また、晩年は孫をつれて庭を散歩する姿が見かけられたという。夕食後は風呂を浴び、2階の寝室と書斎で、ラジオを聞いたり読書をしたりして過ごした。
是清の亡くなった後、1938年に敷地と屋敷はまもなく東京市に寄付され、元あった倉庫を改修し、高橋是清翁記念館とした。建物は、太平洋戦争で罹災(りさい)し現存しておらず、現在は高橋是清翁記念公園となっている。是清の眠る多摩霊園に移築され、休憩所として利用されていた主屋部分が、江戸東京たてもの園に移築された。

●高橋是清邸

・東京都港区赤坂7-3-39
公式ホームページ

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