山口亮一旧宅 (10 画像)
主屋は葦葺きくど造りの武家屋敷で、佐賀美術協会の創設者である山口亮一(1880~1967)の養祖父にあたる山口梅堂が10代藩主鍋島直正の御典医としての地位を得た天保期(1830~1844)に、白石の須古にあった建物を解体し、現在地に移築したと伝えられている。
この旧宅は、山口の創作活動の場として、また、洋画研究所を創立し後進の指導の場として、当時の佐賀の美術界の拠点であった。
1993(平成5)年に佐賀市に寄贈されたが、建物が老朽化し、文化財としての評価もされず解体の話が進んでいた。そこで2003(平成15)年、多くの市民・市民団体から存続の署名運動・寄付がなされ、佐賀市からNPOまちづくり研究所が改修を委託される。
そして2006(平成18)年、壁塗りや板張りのワークショップを行いながら、ボランティア・専門家など多くの人々の力で山口亮一旧宅として開館した。

●山口亮一
明治13年生まれ。東京美術大学校を首席で卒業後、故郷の佐賀へと戻り、後進の指導をあたった。久米桂一郎や岡田三郎助らと共に日本で初となる美術協会を創設し、佐賀の美術の発展に大きく貢献した、西洋画の曙に直結する画家である。

・佐賀県佐賀市与賀町1368-1
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system