洗心亭 (20 画像)
この洗心亭は、少林山達磨寺境内の東隅にあって、6畳・4畳半2間のこぢんまりとした木造平屋の建物である。もともとこの建物は、大正時代に碓氷郡八幡村の産業組合の指導のために来村した、東京帝国大学教授の佐藤寛治博士の別荘として建てられたものであるが、世界的な建築家であり工芸家であるブルーノ・タウトが、日本に滞在した期間の大部分を過ごした場所として名高い。
タウトは1880年、ドイツのケーニヒスブルクに生まれナチスの台頭をさけて祖国ドイツを離れ、1933(昭和8)年5月敦賀に来日した。来日当初は建築家としての充分な待遇が得られず、敦賀の後は京都、仙台と国内各地を転々としたが、井上房一郎らの招きにより、昭和9年8月から昭和11年8月までここ洗心亭に住むこととなった。イスタンブール大学教授としてトルコに招かれるまでの2年余りの間、地場産業の育成のために木工家具、漆工芸、竹工芸、竹皮細工など様々な工芸品のデザインを行い、品質向上を図るとともに、並榎町にあった群馬県工芸所などで指導にあたり後進の育成に務めた。
またタウトは、洗心亭を拠点として日本研究を行い、桂離宮をはじめ、伊勢神宮、白川郷の合掌造り等の日本美を再発見し、著名な「日本文化私観」、「日本美の再発見」などの著書の多くがここで執筆された。傍らの記念碑には「私は日本文化を愛する」とドイツ語で刻まれている。

・群馬県高崎市鼻高町296
公式ホームページ

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