旧木戸孝允邸 (33 画像)
京都市職員厚生会の隣にある旧木戸孝允邸は、木戸小五郎が孝允と改名した明治2年、もと近衛家の河原御殿であったこの邸宅を譲り受け別邸としたもので、現存する2階建棟は近世に遡るものと推察される。
木戸孝允は長州藩出身の明治維新の政治家。1833(天保4)年生まれ、桂小五郎とも称し、のち木戸姓に改める。吉田松陰の門下生で、西郷隆盛、大久保利通らとともに尊王攘夷、倒幕運動に指導的役割を果たした。
文久年間から慶応年間の京都の政局は主導権をめぐり激しく動いていた。その中心は朝廷であり御所を核に公卿屋敷が盛時の拠点でもあった。この建物はその拠点の一隅に位置し、2階建、宝形造、桟瓦葺で、1階は下屋をおろす。緑の庭の東には鴨川が流れる。平面は1階が10畳1室、2階は6畳出床に3畳次の間からなる小規模なもので、邸宅に付属する茶亭のような建物が残されたのだろう。 また、ここは明治天皇が明治10年5月19日に病臥の孝允を見舞った場所でもあり、その7日後に44歳の若さで亡くなった。
松子夫人は尊攘運動のころ、木戸を庇護した芸者幾松であり、夫の死後、剃髪してこの別邸で静居した。夫婦の墓は東山の霊山にある。
昭和18年、孝允の一人息子で地質学者の忠太郎が京都市に寄贈した。
会館の前には忠太郎がコレクションした達磨が収納されている達磨堂がある。

・京都市中京区土手町通竹屋町上ル東入
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