茨城大学五浦美術文化研究所(旧岡倉天心邸) (96 画像)
茨城大学五浦美術文化研究所は、1955(昭和30)年に設立された。天心偉蹟顕彰会の会長横山大観から、天心遺跡(旧天心邸・六角堂・長屋門)の寄贈の申し出を受けてのことであった。1913年の天心の没後、遺族の住まいだったのだが、1942(昭和17)年、天心偉蹟顕彰会が遺族から管理を引き継いでいたのである。 岡倉天心は、1903(明治36)年の5月頃、飛田周山の案内で五浦を訪れ、この地をいたく気に入った。天心は、2年後には六角堂をかまえ、冬はボストン美術館勤務、夏は五浦の海に遊び、国際的な活躍の拠点とした。1906(明治39)年11月には、日本美術院を五浦の地に移し、岡倉天心、菱田春草、下村観山、木村武山が家族と共に移り住んで制作に励み、近代美術史に輝かしい一ページを刻んだのである。また「茶の本」もボストンと五浦の往還のなかで生まれた。 当研究所は、天心遺跡を管理するとともに、その業績をしのび日本の近代美術や内外の文化・歴史研究を行っている。

●五浦岬公園
●岡倉天心の墓
●黄門の井戸
●菱田春草邸跡
●日本美術院跡(天心記念五浦美術館)

・茨城県北茨城市大津町五浦727-2
公式ホームページ

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