横山郷土館 (66 画像)
荒川、利根川から巴波川(うずまがわ)へと江戸をはなれて約92km、ここ蔵の街栃木市は、かつて河川舟運による農産物の積み出し地として栄えた商人の町であった。反乱をかさねた巴波川沿いに粘り強く街づくりをはじめたのは天正時代(16世紀後期)で、その後徳川中期になって粋な商都を築き上げ明治に入ると栃木県の県庁所在地となり政治経済文化の中心地となった。そして県庁が移転した後も貴重な文化遺産は立派に今日に残されて今日に至った。
水戸藩士の子であった横山定助は武家を嫌って商人を志し、ここ栃木において農産物の麻を主力にした荒物商を始めた。努力の結果成功すると金融業にも進出して大成し、この建物において横山家は隆盛を極め、栃木でも有数の麻苧(あさお)問屋として知られるようになった。軒にガス灯をつけた7間(約12.7m)間口の両袖切妻造りの 店舗は北半分が麻苧問屋、南半分が明治32年に設立された栃木共立銀行としてつくられており、出入口も別々に設けられている。両側の石蔵は北側の麻蔵が明治42年、南側の文庫蔵が明治43年の上棟で外壁はいずれも鹿沼産の深岩石が積まれており、小屋組みは木造のキングポスト(洋風小屋組)が用いられ、窓や出入口にも洋風の意匠が目立つ。また、文庫蔵の軒には赤煉瓦積みの蛇腹を廻している。 庭園内には大正7年建築の離れ(洋館)がある。外観はハーフティンバー形式(壁面に柱や梁が露出する構造)を用い、内部は和風を基調としているが天井を洋風にするなど和洋折衷になっている。

・栃木県栃木市入舟町2-16
公式ホームページ

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