有備館 (92 画像)
仙台藩祖伊達政宗は、1591(天正19)年9月23日、米沢から岩手沢に居城を移し、岩手沢を岩出山と改めた。1601(慶長6)年、さらに仙台城に移り、岩出山は政宗の4男宗泰を初代とする岩出山伊達家が代々伊達一門として治めた。
有備館は、江戸時代に仙台藩家臣である岩出山伊達家が家臣子弟のために開設した郷学(学問所)で、伊達家当主が時折講義に臨むための場所であった「御改所(主屋)」とその附属屋が、現在までその姿を伝えている。開校は1850(嘉永3)年頃、10代邦直が当主となった頃と考えられ、岩出山城北側の隠居所・下屋敷の敷地内に開設された。現存する有備館の「御改所(主屋)」は、2代宗敏の隠居所として1677(延宝5)年ころに建てられた可能性が高い建物で、その後、下屋敷・隠居所・学問所として使用され「対影楼」と呼ばれた。
庭園は、1715(正徳5)年に4代村泰によって整備されたと伝えられている。仙台藩茶道頭、石州流三代清水道竿の作庭で岩出山城本丸の断崖を借景として池中に島を配した廻遊式池泉庭園で、中には300年以上の樹木があり四季を通して緑や花などで庭の変化を楽しむことができる。御中島には茶亭があり島に渡る橋が架けられている。
明治維新後の1869(明治2)年には、御改所(主屋)と附属屋は岩出山伊達家の居宅となり、庭園とともに守り伝えられてきた。1933(昭和8)年、国の史跡名勝の指定を受け、1970(昭和45)年4月1日に岩出山伊達家より、岩出山町(現大崎市)へ移管され、一般に公開されるようになった。
2011(平成23)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、御改所(主屋)の倒壊など甚大な被害が認められた。2013(平成25)年11月より復旧工事が進められ、2016(平成28)年3月に全ての災害復旧工事が完了した。

・宮城県大崎市岩出山上川原町6
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